デス・オーバチュア
第59話「怨讐の十字架」




メギドの火。
神の火、天の火、裁きの火。
天から降ち、罪に溢れた街を一瞬で焼き尽くしたとされる火柱と同じ名を持つ煌の最強の魔導兵器。
いままで、これで灼き尽くせなかったモノなど何一つ存在していなかった。
三人の魔王と二人の魔皇という例外を除けばだが……。



「天剣絶淘(てんけんぜっとう)……」
煌は己のメギドの火を遮ったモノの名を呟く。
天を貫くかのように、大地から突き出ている巨大な剣の刃。
その刃が障壁のようにそびえ立っていた。
「……なぜ、邪魔をした……ゼノン……」
刃が無数の粒子となって舞い散るように消えていく。
刃の背後、本来ならタナトスが立っているはずの場所に、別の人物が立っていた。
輝く黒……黒いメタリックな全身鎧。
黒い甲冑だけがその場に立っていた。
「少し余計な手出しだったか?」
甲冑の中から声が聞こえてくる。
露出部分が一切ない全身鎧だったため判断がつきにくかったが、空の甲冑ではなく、中にちゃんと人がいるようだった。
「……あの女をどこに隠した?」
「さあな」
「……答えないつもりか?」
煌は大筒を黒い甲冑に向ける。
「オレはお前のメギドの火を遮っただけだ。女はその直前に勝手に消えたよ」
「……それを信じろと?」
「別に信じてもらう必要はオレにはない」
「…………」
煌の背中から大筒と翼が外れ、煌は大地に降り立った。
「……解った、信じる……だけど……」
「だけど?」
「……邪魔をした罰は受けてもらう!」
煌のコートの中から大量のミサイルが一斉に撃ちだされる。
「ふん……魔極黒絶剣(まごくこくぜつけん)」
黒い甲冑の右手に巨大すぎる大剣が出現した。
黒い甲冑は軽々と大剣を振り下ろす。
剣の一振り、その剣圧だけで全てのミサイルが掻き消された。
「いいだろう、獲物を逃して欲求不満だろうからな? 少し遊んでやろう」
黒い甲冑は大剣を肩に担ぐ。
「……命を賭けて遊んでもらう……」
煌はコートを脱ぎ捨てようと手をかけた。
「アレを使うのか? 本気か?」
「……遊びは本気でするから面白い……!」
煌が勢いよくコートを脱ぎ捨てようとした瞬間、黒い甲冑と煌の間を分かつように黄金の光輝が吹き上がる。
「……ちっ! 一足違いか」
「ルーファス?」
光輝が消えると、死ぬほど不機嫌な顔をした金髪に白いコートの男がそこに立っていた。



タナトスが目を覚ますと、そこは星の海だった。
とても綺麗な夜の星空……というのとも少し違う。
地上から夜空を見上げているのではなく、自分が立っている場所が夜空……無限の闇の中に無数の星々が浮かぶ空間だった。
「……地上が無い?」
上下左右、どこを見ても星空……いや、上下という感覚すら存在しない。
この無限の闇と星々の輝きだけの世界に一人で居るとなぜかとてつもなく不安な気分になってきた。
「……リセット! リセット!? 居ないのか?」
タナトスは不安を誤魔化すように唯一の同行者の名を呼ぶ。
ここは魔界でもないようだが、自分の生きてきた世界でもないのも間違いない……この世界でタナトスの知っている人間、タナトスを知っている人間が居るとすれば、それはリセットだけだ。
「リセット!……まさか、この世界には来ていないのか?……この世界には私しかいないのか?」
もしリセットが居ないならどうすればいい?
自分には世界と世界を渡る能力などない。
この下手をすれば自分以外に誰もいないかもしれない孤独な世界で……一人で生きていけとでもいうのか?
「……嫌だ……一人は……クロス……フローラ……」
帰りたい。
愛しい妹達の居る世界へ。
「……ルー……」
タナトスがある人物の名を呼ぼうとした瞬間だった、タナトスの後頭部に鈍い衝撃が走ったのは……。



「これはまた面白い状況じゃな……のう、セルよ」
「ネージュ……そちらの方はどなたですか?」
セルは突然背後から声をかけられても動じることなく、冷静に声をかけた人物ネージュに、彼女の連れの素性を尋ねた。
「ふん……貴方にとってはこれが『初めまして』ってわけか……」
オッドアイが不機嫌そうな表情で呟く。
オッドアイが『初めて』セルに会った際のセルの妙な反応の原因が解った。
「ふむ、こやつのことは余り気にするな……そうじゃな、儂の若い燕じゃとでも……」
「おい! ちょっと待て!」
「お主は黙っておれ。余りお主の正体は知られぬ方が良い。過去を余り歪めたくはあるまい?」
「くっ……」
オッドアイは押し黙る。
別に素性を隠すことに不満があるわけではなかった。
不満なのは若い燕という発言である。
その言葉の意味が解らない程、オッドアイは無知な子供ではなかった。
「なぜ……僕が貴方の愛人にならなきゃいけないんだ……」
オッドアイが小声でぼやく。
「良いではないか、お互い愛し合っておるのだから」
「ふざけ……」
「ふふふっ、仲が宜しいですね……それはともかく、あちらはどうしましょうか?」
セルはネージュ達から崖下に視線を戻した。
崖下には豆粒が三つ……いや、三人の魔族が居る。
「煌とゼノンが屠り合うのは別にたいした問題ではないが……問題は……その間に割って入った存在じゃな」
ネージュも崖下に視線を向けた。
「ええ、あれは光皇であって、光皇では無い……」
セルは少し戸惑っているような表情を浮かべている。
彼女は己の関知能力に絶対の自信を持っていた。
目を普段殆ど使わないからこそ、目で視るより正確に全てのモノを把握することができる。
だが、そんな彼女にも、煌とネージュの間に現れた存在が光皇だとも、光皇でないとも認識しきることができなかった。
「ふむ、あやつもいろいろと面白いことになるようだなのう……お主の時代では」
ネージュは愉快そうな表情で、ちらりとオッドアイに視線を送る。
「ふん……」
オッドアイは不愉快そうな表情で鼻を鳴らすだけだった。



「……ネージュ? 煌? ランチェスタ?」
木陰での微睡みから目覚めたDは呟いた。
夜空を見上げると、限りなく満月に近い月が青銀色の輝きを放っている。
「なぜ、今頃、彼女達の夢など……」
Dが己の左手の掌の上を見つめていると、そこに闇を固めたような黒水晶が出現した。
「結局、あなたはこれを使うことは殆どなく逝きましたわね、煌……」
この黒水晶に封印しているのは彼女から譲り受けた物。
彼女の半身とも言うべき物、彼女が自分に残してくれた唯一の遺品だ。
「フフフッ……そういうわたくしも貴方にこれを譲り受けて以来、これを使うことは殆どなかったのですけど……」
Dが一瞬強く黒水晶を睨みつけると、黒水晶が美しく砕け散る。
「……痛っ」
Dの左掌の上には白銀の十字架が乗っていた。
Dは右手で十字架の鎖を摘み、十字架を持ち上げる。
Dの左掌には十字の赤い火傷ができていた。
「神銀鋼……その破邪の力ゆえに『魔属』には持てず、その重さゆえに人間には持てぬ……役立たずの金属……」
こんな小さなロザリオでありながら、墓場の十字架などよりも遙かに重い。
というか、墓場の十字架の数十本……いや、数百本分の重さだった。
「そういえばランチェスタはまだ健在のはずですわね……今度、至高天に久しぶりに顔を出してみますか……」
ランチェスタは今も誰も居なくなった至高天に一人残っている。
至高天のパーツとして……。
「オッドアイもフィノーラもとうに城を出て、もはやあの城に存在意味は無い……できれば解放して差し上げたいのですけど……それができる条件をわたくしは満たしていない……」
嘆きの十字架からランチェスタを解放できる者の条件は二種類だけだ。
一つは、強い光輝を持つ者。
ルーファス以外ではその可能性を持つのはオッドアイだけだ。
おそらく、ルーファスは至高天とセット、あるいはオマケとしてランチェスタもオッドアイにくれてやったつもりなのだろうとDは思っている。
「ランチェスタに望んだのは……オッドアイの保護者か、パートナーか……いずれにしろ、彼女の都合も気持ちも一切考えていない……当然ですわね、あの方にとって、彼女もわたくしもただの物に過ぎないのですから……」
そして、譲られた……押しつけられたオッドアイもまた、それを受け取るのをよしとせず、至高天もランチェスタ込みで放置した。
「フフフッ……それに比べて、わたくしはただ捨てられただけ……息子の子守りにも、城のパーツにも使えない役立たずの女……フフフッ……」
Dは右手で十字架を強く握りしめる。
彼女の右拳から焦げた臭いと煙が立ち登った。
「……けれど、それでいい……わたくしはあの方の息子にも、あの方の居ない魔界にも一欠片の興味も未練もないのだから……」
興味も未練も唯一人に対してしか存在しない。
「あの方は何ものにも縛られない……執着することもない……そうでなければ……いけないない……いつまでも……あの方がいつか滅び去るその時まで……」
鈍い金属音が響くと、ロザリオを握りしめていたはずのDの右手に白銀の細身の剣が握られていた。
「もし、あの方を縛る存在が……あの方が執着する存在が生まれたら……わたくしはその存在を……恨み、憎み……決して許さない……」
Dの右手が一瞬ぶれる。
「……この手で握り潰しますわ、跡形もなく……」
Dの背後の大木が突然、無数の粒子となって弾け飛んだ。
「怖い怖い〜、とっても怖いですね、D」
「……エリ……イェソド・ジブリール」
荒れ狂う炎のような赤い長い髪、情熱的な赤い瞳、若く健康的な白い肌、スレンダーなボディスタイル、体にフィットした赤い衣を身に纏った十四歳ぐらいの少女。
イェソド・ジブリールがそこに立っていた。
「自分を愛してくれない、見てもくれない相手をいつまでも想い続けて……あなたは幸せになれるんですか?」
「…………」
「今まで、彼への想いを引きずって生きてきて、あなたは幸せだったんですか?」
「……幸せ? わたくしはそんなものを感じたことは一度もありませんわ」
Dは凄絶な笑みを浮かべる。
「わたくしには幸せなど理解できない……だから、最初から幸せなど望まない。ただ、不幸は解る……それはあの方が居なかった時間……」
Dの表情から一切の感情が消えた。
「あの方が居なくなって毎日が辛かった……生きている理由がなかった……いっそ滅んでしまおうかとも思った……」
「…………」
イェソドは無言でDの言葉に耳を傾ける。
「……でも、今は滅びなくて良かったと思える。あの方にこうして再び出会えたのだから……」
Dはこの世の誰よりも幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「それなりに長いつき合いのつもりでしたけど……こんなに表情のころころと変わるあなたは初めてみました」
「そうですか? 自分では自覚ないのですが……そんなにわたくしの表情変わっていました?」
「ええ、さっきみたいに幸せな表情のあなたは初めて見ました」
「……幸せ? わたくしが?」
「本当に自覚がないのですね。彼が居なかったと言った時は、一切の感情の消えた絶望の表情を、彼に出会えたと言った時は最高に幸せそうな表情をしていましたよ」
「…………」
Dはしばしの沈黙の後、首を左右に振る。
「……何れにしろ、わたくしの想いは……あの頃からずっと……変わっていない……そして、これからも未来永劫変わりませんわ!」
Dの右手から剣が消えたかと思うと、イェソドの体の鳩尾に剣が深々と突き刺さっていた。
「ふぇ?」
「消えなさい、シャヘルの火の粉」
Dは右手を額に持っていって、胸に下げて、次に左肩に持っていき、最後に右肩へと持っていくことで……宙に十字を描く。
「ちょ、っと、酷……ああああああああああああああぁぁっ!」
「AMEN(アーメン)」
Dが両手を静かに合わせるとイェソドの体に白銀の光が十字に走り、イェソドの体は跡形もなく爆砕した。
「……少し干渉しすぎですわよ」
Dは爆風で飛んできたロザリオを右手で掴み取る。
ロザリオはDの右手に集まった闇に包み込まれ、再び黒水晶と化した
そして、黒水晶は出現した時と同じように、空間に溶け込むかのように掻き消える。
「わたくし達はお互いに必要以上に干渉し合わない約束のはず……それをお忘れなく」
Dはそう呟くと、夜空を見上げた。
「いよいよ、明日ですわね……明日でこの喜劇も幕が下りる……」
明日の夜空に登るのは正真正銘の満月。
「亡霊という物語の終幕が……」
ファントムにとってもっとも長い一日が始まろうとしていた。









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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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